(つづき)
是枝:(人間関係や感情コントロールについて)一番大事なことを学んだんじゃないの。
監督って人に動いてもらう仕事だから、どうその人が持っているポテンシャルを120%出してもらうかっていうポジションだと思うよ。「いいや、今回は70%にしとこう」と皆が思い始めたら、もうそれだけのものだよね。
どういうやり方にせよ、その人の持っているものを全部出してもらう、そのためには褒めることもあれば怒ることもあるだろうし。いろんな形はあるでしょうけれど、大事なのは作品が良くなることであって、自分が気持ちいいことではないので、その感情のコントロールというのは非常に大事なんじゃないの。自分の感情なんかどうでもいいんだもんだって。
そこで自己愛を超えて作品愛を優先できるようになると、人間としてもそうかもしれないけど、監督としては一歩前進なんじゃないですか。
どんなに辛くても辛いと言っちゃいけないポジションだからさ。「お前が辛いって言ったら、俺たちもっと辛いよ。俺たちの方が寝てないよ」って絶対スタッフは言うからね。「お前のためにやってるんだから」ってみんな思っているから。
だから、星合さんが「楽しいです!」って言っているのは大事なんですよ。
星合:それで最近悩んでいて。私は楽しい楽しいって言ってるのに、他のみんなはしんどいって言っていて…
是枝:言っていいですよ。楽しいと言うしかない、言わないと。
城:脚本を書いたときのシーン数が60個くらいあって、撮れるだろうと思っていたんですけど、
やっぱり制作体力みたいなものと、スケール感みたいなものが、どうしても始めた途端から削られていくことは凄く辛かったことですね。
今の自分に見合ったスケール感と言うとちょっとマイナスに聞こえるけれど、シーンを減らし焦点を絞って、そこから拡げていくやり方をとったほうが絶対に良かったなという反省はあります。
今の自分が本当に出来ることを見極めつつ、一歩一歩進んでいくのはとても大切だなと思いました。
清水:学生映画より、逆に商業映画の方が制約が多い気がして。それだけ大勢を巻き込んでいるわけだから、そっちの方が制約があるんじゃないか。学生映画の方がむしろ自由に作れると思っていたんですよ、私は。
城:僕らは茨城にある学校を借りて撮影したんですけど、そこに行くまでの時間だったり、移動のお金だったりというものを考えながら制作していくと、どうしても限界というものがはっきりと見えてくるわけですよ。
その条件が生まれた時に、さてどうするのかという監督の選択が始まっていて、僕は「学生映画だし」みたいな根性論で突っ切ろうとしたんですよ。「やればなんとなるだろう」とやっていたら、どんどんと疲弊していくのを肌で感じて、それだったらもっとシーン数を減らして、行く回数を減らして、そこで考える時間を増やした方がよかったなというのを学びました。
是枝:僕も経験しています。未だに。
城:それで是枝さんのアドバイスから学んで。例えば、(撮影シーンのうち)ここは本当に踊り場でいいのか、踊り場じゃないところでこれは出来ないのか、というのを考えることで脚本がブラッシュアップされていく、その感覚を得たのは結構新鮮でした。
城:撮影現場に入るまでに、脚本を書いて絵コンテを描いて、こういう風に撮るんだというものを持って固めていくわけですよね。
撮影現場で役者さんにお芝居をつけて、「はい、やってみてください」と言った時に、現実がそれを吹き飛ばすわけじゃないですか。捻じ曲げられるわけですよ。
そのときに「イメージと違う」ってショックを受けて下を向いたらもう負けで、どうイメージと違うものを跳ね返すのか、バッターだったらバコーンと打ち返す、その瞬発力みたいなものが撮影現場だなと思いました。
是枝:すばらしい(笑)
宮崎:どれくらいそれを打ち返せたんですか?
城:いやあ、半々…(笑)
本当に今回、キャスティングが上手くいって、役者さんに助けられながらやったんですけど、役者に負けたなというところも結構多くて、それが、3割打者くらいになっちゃったのかなと(笑)
監督みたいな人は、本当に9割バッターくらいなのかな。9割くらい打ち返してるものなんですか?
是枝:とんでもない、そんなわけないよ!
城:そういう「このシーン上手くいかなかったわ」みたいなものを悲しみながら、ギリギリ奥歯を噛み締めて進んでいくものなのかな?
是枝:どこまでその失点を最小限に抑えてよそで挽回するか、は常に考えているけどね。
どうしてもその失点が大きかったら、じゃあそれを無しにしたと考えたときに、他で別のシーンが作れるのかどうかということも撮りながら考えている。だから「いいですね、もう一回やりましょうか」と言いながら、これがなくなったときにどうするかってことはもう一個の頭で考えてる。
この間、ちょうど法廷もののロケハン(撮影場所探し)が始まって。
実際の法廷を借りられないから、横浜設定だけど結局外観は名古屋行って撮ることになって。
そうなると大所帯で名古屋まで行ってロケをするというのは限られてくるわけ。すると、表周りでできることは削らなくちゃいけなくなってくる。
実は最後のシーンで、表に出てきて夕日を浴びるというのを書いてたんだけど、それ結構大変なわけよ。夕日狙いで行くってさ。そこに全体予算の何パーセントを注ぐみたいなことになったときに、じゃあそれをやめて、たとえば、法廷の中はセットで光のコントロールが効くから、夕日は表じゃなくて、法廷内の窓越しに入ってくる光にする。オープンの広がりはないけど、室内で照明を作っちゃった方が演出で粘れて、一発勝負にならないから。
そういう、何を捨てて何を拾うかというのは、毎日のようにやってる。
ロケ場所があがってきて、「撮影ここは土日しかだめです」「これは昼間じゃうるさいですよ」みたいな条件を比べながら、じゃあこれはこれで、ここは諦める、そういう仕事。
でもそれは楽しいよ。もちろん、いろんな制約があって、それを縫いながらやっていく作業なんだけど、そこで燃えられるか、「なんだよ出来ないよ」となるかは人それぞれ。